中國西域旅行記 - その 9 -


15.包子(パオズ)とシシカバブとハミ瓜の夜

 敦煌の地図を見ると、東から西へ東大街、西大街のメインストリートが街を貫き、 飛天商場前のロータリーに北大街、南大街が交差している。 東・西大街といっても端から端まで歩いて20分も無い。 観光するなら東大街、西大街沿いに歩けばいい。簡にして単である。 昼間はこの街の人より、国内外の観光客と周辺からの“お上りさん”が目立ち、 そういった人々にしても、目当ての建物にするりと消えていく。 日陰から見る大通りは太陽が直射して、真空地帯のように虚ろで、生気が無い。 死んだような路なのだ。

昼間の飛天商場前→

 だが、砂漠の生き物たちがそうであるように、この大通りと街は陽が落ちてから 活発に動きだす。 昼間は戦車でも通れそうだった通りは、歩道といわず車道といわずテーブルとイスが まき散らしたように並べられ、ありとあらゆる食べ物の屋台が並んでいる。 夜の蜃気楼に迷い込んだような光景をマイクロバスの中から眺める。 「うまそう!」「絶対行こうな、帰ったら。絶対!」「当然じゃん」 そう誓い合う我々に、「元気だね、あんたたち。本当に」 あきれたようなおほめの言葉を頂く。

 敦煌では夏の間、朝早くから仕事をして、昼寝をたっぷりとして6〜7時まで仕事をする。 そして、陽が落ち、涼しくなると、こうして町の中心街にびっしりと夜店が出て、 深夜の2時頃まで楽しむ。しかも、これが秋まで毎日続くのだ。 砂漠のオアシスの生活なんてバザール(市場)やお祭りに行くことを除けば、 クルクル上っては沈む太陽のもと日時計のような単調な生活が続くのかと思っていたが、 なかなか愉快に過ごしている。 あとで調べると、敦煌からウルムチ、カシュガルにかけては冬はかなり寒く厳しく、 平均気温が-10度前後にもなる。 夏の夜のにぎわいは文字通りお盆と正月分の楽しみなのである。

 一体どこから電気を引いているのか多少怪しいアーク灯の光の下で、 大鍋で豚の各部分(一揃いある!)を煮たもの、麺類、饅頭、 羊の辛い串焼きシシカバブー、スイカや瓜やブドウなどの果物(これが一番おいしい)、 お茶、スパイス、ナイフの店等々まさしくお祭りのようなにぎわいである。 しかし、大挙して来ているはずの日本人観光客の姿は(特に遅くなると)ほとんどない。 皆さん、暑い昼間の観光と強行日程で疲れているのであろうか。 「まだ夜10時半だ」を合言葉に、並より少し上の体力(食欲?)の我々五人は すぐさま出掛けていく。

←夜の敦煌の町

 こういう所は歩いているだけでも楽しい。 屋台のおやじさんやおかみさんが、これ食わんかねとあちこちから声を掛けて来る。 と、同時になんとなく、誰かれとなく我々の方を見つめているような気がしてならない。 そういえば、外国人(勿論、中国人以外を指す)らしい人を見かけない。 カメラマン氏の友人がぐるっとまわりを見回して言う、 「なんか見られてねぇか?」、「そんな気はするけど」、 「そうかぁ?」「それより何食うんだ?」。 そのうちシシカバブ屋を見つける。羊肉の串焼きシシカバブには、 肉切れが大きいものと小指の先くらいのものと2種類あって、この店は小さい方だった。 オモチャのような30cmの高さもないビニール製のイスが10個ほど散らばった中から、 クマのような主人が歯をむきだして立ち止まった五人に微笑む。 客はいないが、なんだかおいしそうだからと五人が座ると、 まわりでこっちを伺っていたらしい連中がバタバタッと他のイスに座る。 あっという間の満員御礼。 びっくりしてまわりを見まわすと、興味津々でこちらを見詰める人たち。 「おやま、こりゃ人寄せパンダだね」、「ここは本場だからな」。 さて肝心のシシカバブは炭火の上で、鉄製の細長い串に刺さった羊肉を回しながら 指でつまんだスパイスをすき間無くまぶして焼く、 スパイスが燃えた香ばしい匂いがぱっと拡がる。 一本二角(5円)。熱い串に気をつけながら肉を剥ぎ取るように食べる。 辛い! 作り方を見ていて辛いだろうなとは思ったが、 一口目は唐辛子と塩と胡椒の味しかしない。 でも、たっぷりついたスパイスのおかげで羊肉独特のくさみはなく辛さに慣れればおいしい。 辛い、辛いと騒ぐ我々を周りの人たちはニコニコして見ている。 「おい、ところでこの串どっかで見たこと無いか?」、 一人が鉄串のつけ根を見て言う。「そういや、この飾りは見覚えが……」 「あぁ!、これ」3人の声がそろう「自転車のスポークだ!」。 ……さすが食と自転車の国・中国、こわれた自転車も捨てるところが無いようである。

 辛くて口がしびれてとても二本は食べられない、で別れてまた次の店を探して歩く。 ナンの店を見つける。 ナンは中央アジアではチャパティとも呼ばれ、 小麦粉を練って平たく焼いただけの食べ物である。 インドでは準主食で、さっきのシシカバブをこれにはさんで食べると ちょうどタコスの様になって具合が良いのだそうだ。 ぜんぜん売れていないのかインド系のお兄さん、 つまらなそうにそれでも新しいナンを焼いている。 一枚買って食う、かすかな酸味で前年の旅行で食べたナンを思い出す。

 ぶらぶらしていてまた五人が合流する。包子(≒肉饅)の店を見つける。 西域の少数民族(ウイグル族?)らしい少年が兄弟二人でやっている店だ。 中国の食べ物でハズレが無いのが包子で、いつもおいしい。 そのくせ宿の食事には出て来ないのだ。渡辺氏がいくらかと聞くと 一皿8個で一元五角(約40円)とのこと、ちゃんとその場で蒸して売っている。 熱くて手づかみでは食べられず、割箸で食べる。 こっちの醤油は魚から作った魚醤で日本人には匂いがきつすぎ、 一味唐辛子をつけて食べると美味。五人で二皿食べる。 こういうときはどうしても通訳兼交渉担当になってしまう渡辺氏が少年に 「二皿は三元だな」と念を押して払う。 こうしないとごまかす商人も少なくないので、最初に値段を聞いて、 払うときに念押しするのが習慣のようになってしまっていた。 ただ、席を立つとき二人がなにか言いたげにしていたのが気になった。

 12時近くなったので、呉さんとも合流して敦煌賓館に向かう。 途中、道端に果物の露天がある。 なんだかロバを思い出す顔の男が瓜やスイカの間に座っている。 細長い大振りな瓜がある。昔見たシルクロードの番組の記憶がよみがえる。 「これハミ瓜だ!」呉さんが応える「そうだ、これすごくおいしいんだよ」。 一斤(500g)で八角、一個で四元(100円)弱である。 ハミ瓜はおいしいことでは世界的に有名で、敦煌の北西500キロの街・哈密(ハミ)の 名から来ている。 で、呉さんが外貨兌換券(外貨と交換できる中国元)で払うと、 実に不思議そうにそれを見ている。 都市部では兌換券は輸入品が買えるため中国国民の使う人民元に比べ、 経済開放が進んだ今でも10%増くらいの価値がある。 実際、兌換券で払うと言えば1〜2割まけてくれることもあったのだが……。 横にいた別の男がそれも“お金”だと教える。 ついに最果ての地まで来たのか、なんて気がして妙な旅情をそそるが、 旅情より食欲優先である。宿に戻って登山ナイフで切って食べる。 濃厚な甘さなのに、少しのくどさも無い上品な味、 これ以上は、筆舌につくし難いが、ハミ瓜を食べるためにもう一度ここに来ても いいと思ったくらいの味であった。

敦煌賓館食堂にて↓

 メモを書きおえたのは午前1時、明日はこの旅最大の目的、 敦煌・莫高窟(ばっこうくつ)観光である。


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