中世・ルネッサンス期の音楽と楽器

*** お話: 桐朋学園大学講師 米田かおりさん ***

音楽の役割

現在においては、趣味や娯楽、心の癒しとして音楽が親しまれていま すが、中世ヨーロッパにおいては、社会的安定機能として音楽が非常に重要な役割を もっていました。人の流入の激しい商業地においては、娯楽と人々の心の安定として 教会でのコンサート活動がさかんに行われていました。

教会、都市、宮廷においての音楽の社会的役割と発展

教会において、祈りの中での音楽とりわけ歌は、耳を通して人々に信 仰を伝える役目があり布教の手段として利用されていました。例えばグレゴリオ聖歌 のように初期の音楽は、言葉の抑揚だけで歌がつくられていました。その当時は、カ トリックにおいては、オルガン以外の楽器は身分が低い者が使う物と考えられていた ので、神聖な音楽には用いられることはありませんでした。
その後、聖歌隊の不足パートの穴埋めとして、管楽器が教会にはいりまし た。トロンボーン、ティンクが人間の声に近いため声の代わりに“補う”という意味 で用いられるようになったのです。
楽器パートとしての演奏が加えられるようになったのは、16世紀の終わり 頃からになります。それは、戦争や疫病の流行による聖歌隊の人手不足によるもの で、社会的理由による必然的なものでした。
都市では、時を知らせたり、敵が攻めて来たときの合図を塔の上から知 らせる「塔の番人」として管楽器を鳴らす音楽家が雇われていました。塔の番人が都 市の行事で演奏するようになると「都市楽師」として都市に雇われるようになりま す。都市楽師は徒弟制度によってたたきあげられた専門的な能力を持った人たちで、 多くの楽器を演奏できることが要求され、また重要視されていました。
宮廷では、生活を彩るためのものや権力の誇示として音楽が使われてい ました。お城の建築が盛んになると、贅沢品として宮廷楽団をつくるようになりまし た。中でも華やかなトランペット、ティンバニー奏者は権力を象徴する意味で特別 な存在になりました。
ここで、音楽家の社会的身分を考えてみると、教会、都市、宮廷いずれに おいても音楽家は音楽の職人でしかなく、雇用主に従わなければなりませんでした。 そのため自分で好きな音楽を演奏するということことはできなかったのです。

楽譜と楽器

楽譜は本来必要のないもので、教会の中では記憶と即興により音楽は 演奏されていました。 音の高低が複雑になると記憶の助けとして記号を用いるよう になり、演奏が複雑になるとリズムを表現するために楽譜が必要となっていきまし た。しかし、楽譜は教養者のみしかわからないもので18世紀以前においては、それほ ど必要とはされませんでした。その当時の音楽家は、楽譜は骨組みとしてのものであ り、それを装飾して演奏するのが当たり前だったからです。
しかし、18世紀になると都市の形成や機械化、都市人口の増加などによ り、ゆとりをもつ人が増え、一般 の人々に楽器の演奏が浸透していきました。その ため、曲や楽譜が商品化されるようになりました。同時に音楽家も雇われていた身か らフリーで活躍できるようになったのです。音楽家が大きなホールでコンサート活動 をするようになると、楽器も輝かしく響く大きな音が求められるようになました。そ のため、改良され、次第に微妙な音を出す楽器が薄れていったのです。

ですから、18世紀以前の楽譜において、骨組みとしての楽譜そのもの を演奏するだけでは当時の音楽を知ることは難しいのです。その当時の作家は演奏す る楽器の微妙な音を知り尽くして書いていたことや音楽の時代的慣習を念頭におい て、当時演奏されていた楽器を知ること、微妙な音を再現することは、楽譜を見ても わからない要素を知る大きな手がかりになると思います。


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